【BMW日本一周43日目】山形県山形市の『山形県郷土館「文翔館」/山形市立郷土館(旧済生館本館)』に行って来ました!

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※この記事で使用している写真データは販売しておりません。

山形市

よしぷり
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今回は山形県山形市の

『山形県郷土館「文翔館」/山形市立郷土館(旧済生館本館)』

に行ってきたので、そのときのお話を記事にします!

○この記事はこんな方におすすめ○

・『山形県郷土館「文翔館」/山形市立郷土館(旧済生館本館)』について知りたい
・山形県に行きたい
・山形市を知りたい
・山形県郷土館「文翔館」/山形市立郷土館(旧済生館本館)に行きたい!

【この記事を一言で】
→山形県山形市の『山形県郷土館「文翔館」/山形市立郷土館(旧済生館本館)』について分かる!

『山形県郷土館「文翔館」/山形市立郷土館(旧済生館本館)』とは?

山形県郷土館「文翔館」
山形市立郷土館(旧済生館本館)

明治9年に現在の山形県が成立した後、初代県令三島通庸の手によって明治10年に山形県庁舎が、また同16年に県会議事堂が旅篭町に建設されましたが、同44年5月の山形市北大火により両棟とも消失してしまいました。ただちに同地で両棟の復興が計画され、大正2年4月に着手、同5年6月に完成したものが現在の旧県庁舎及び県会議事堂です。

済生館は、1878年(明治11)に山形県立病院として建設されたもので、当時の山形県令三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもとに竣工した。「済生館」の名前は当時の太政大臣・三条実美の命名による。東北地方で最も早く西洋医学を取り入れ、診療の他に医学校が併設され、オーストリア人医師ローレツを金沢医学校から招聘した。経営の問題から1888年(明治21)には民営となり、その後1904年(明治37)4月には山形市立病院済生館となった。

https://www.gakushubunka.jp/bunsyokan/about/

https://www.pref.yamagata.jp/110001/sangyo/sangyoushinkou/him_top/him_maincat1/him_15.html

観光サイト

位置

『山形県郷土館「文翔館」』の様子

『山形市立郷土館(旧済生館本館)』の様子

感想等


山形市に来たならここ!!

「文翔館」は山形県旧県庁舎及び県会議事堂は修復・利活用している施設で無料で当時の様子を見る事ができます。

「旧済生館本館」は当時の私立病院だったそうです。

どちらも大正な造りが最高な雰囲気で、映画の撮影地にも使われたスポットです♪