【日本一周58日目】長崎県長崎市の『長崎新地中華街』に行って来ました!

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長崎市

よしぷり
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今回は、タイトル通り

『長崎新地中華街』

に行ってきたので、そのときのお話を記事にします!

○この記事はこんな方におすすめ○

・『長崎新地中華街』について知りたい
・長崎県長崎市でおすすめな観光地に行きたい
・長崎県の観光地を知りたい
・長崎県に行きたい!

【この記事を一言で】
→長崎県長崎市の観光地『長崎新地中華街』が分かる!

『長崎新地中華街』とは?

横浜、神戸と並ぶ中華街・新地は、江戸時代中期に中国からの貿易品の倉庫を建てるために、海を埋め立ててできた街。東西、南北あわせて約250mの十字路は、長崎市の姉妹都市である福建省の協力でできた石畳。

中国との貿易が盛んに行われた江戸時代(元禄)、出島に住むオランダ人と同様中国人についても居留地が設けられました。唐人屋敷(唐館)は、総面積約9,360坪、役人詰め所や、大門、二の門、住宅、市場、関帝廟、土神堂、観音堂などがあり、高い練塀をめぐらせ、出入りは出島と同様厳しい制約がありましたが、中国人たちの出入りは比較的自由でした。

市内に在住する中国人は1万人ともいわれ、当時の長崎市の人口が6万人でしたから、たいへんな数の中国人でした。

中国船からの積荷は、五島町や大黒町の海岸の荷蔵に納めていましたが、1698年の大火で荷蔵が喪失したので、二度とこのようなことが起きないようにと、唐人屋敷前面の海面3,500坪を埋め立てて隔離された荷物倉所を造り、この場所は新しく築地によってできた場所という意味で、「新地」とか「新地蔵所」と呼ばれました。(中華街の中央に新地蔵(しんちぐら)跡の石碑が建てられています)

明治維新後、唐人屋敷とともに新地蔵所も廃止されたため、在留中国人は港に近い新地蔵所跡地に移り住み、長崎独特の中国人街を作ってきました。

http://www.nagasaki-chinatown.com/annai.html

⇨長崎市観光案内

位置

『長崎新地中華街』の様子

感想等


長崎市内の商店街からすぐ近くにある『長崎新地中華街』

しかし、店は開店しているものの人通りはほとんどなく

かなり寂しい雰囲気になっていました。

中華街自体はとても綺麗に整備されているので、

観光地としては規模は小さいですが、

楽しむことができました!