【日本一周100日目】奈良県奈良市の『興福寺』に行って来ました!

ママチャリ日本縦断

※サイトで使用している写真データは販売しておりません

奈良市

よしぷり
よしぷり

今回は、タイトル通り

『興福寺』

に行ってきたので、そのときのお話を記事にします!

○この記事はこんな方におすすめ○

・『興福寺』について知りたい
・興福寺に行きたい
・奈良県奈良市を知りたい
・奈良県に行きたい!

【この記事を一言で】
→奈良県奈良市の『興福寺』について分かる!

『興福寺』とは?

法相宗の大本山である興福寺。その前身である「山階寺(やましなでら)」は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても 興福寺の別称として使われています。そして、壬申の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移され、その地名を取って「厩坂寺(うまやさかでら)」と名付けられます。さらに、和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。

奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。

平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。

https://www.kohfukuji.com/about/overview/

※お寺にはお堂や塔、門など様々な建物があります。
 これらの集まりのことを、伽藍(がらん)といいます

⇨奈良市観光サイト

位置

『興福寺』の様子

『興福寺国宝館』の様子

感想等


『奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つ』

『平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほど』

つまり、平安時代にはとても大きな勢力だったことが伺えます。

興福寺は現在も国宝や重要文化財も数多く持ち、

興福寺国宝館ではそれらを見ることもできます。

東大寺、春日大社、興福寺は歴史を奈良に行くのであれば、

外せないスポットに感じました♪