【日本一周66日目】福岡県北九州市の『門司港』に行って来ました!

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北九州市

よしぷり
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今回は、タイトル通り

『門司港』

に行ってきたので、そのときのお話を記事にします!

○この記事はこんな方におすすめ○

・『門司港』について知りたい
・福岡県の観光地に行きたい
・福岡県北九州市を知りたい
・福岡県に行きたい!

【この記事を一言で】
→福岡県北九州市の観光地『門司港』について分かる!

『門司港』とは?

日本の三大港として数えられた門司港
かつて、明治から昭和初期にかけ栄華を誇った街、門司。近代日本を支えた港町として歴史に名を刻んでいる。 明治二十二年に石炭などを扱う国の特別輸出港に指定され、貿易港としての地位を確立した門司は、その後、日清戦争、日露戦争の勃発と共に、栄えていく。中国大陸が近いこともあり、軍需品や兵士たちを送り出す重要な港となり、米、兵器、軍服などの品物を扱う商業が目覚ましく発展していった。大正三年には門司駅新駅舎(現在の門司港駅)が完成。この年の八月に日本は第一次世界大戦に参戦。十一月には中国の青島を攻略し、門司は大戦景気に湧きたった。その後、欧州航路の寄港地にもなり、港は莫大な利益を得ていくことにる。大陸貿易も盛んで満州などへの貿易船や客船で大変賑わった。この頃には、日本三大港(神戸、横浜、門司)の一つとして数えられ、重要な国際貿易の拠点となっていた。大商社や銀行が先を争って門司に支店を出そうとし、地価が暴騰したのもこの時である。また、大陸貿易の発展とともにもう一つ賑わったものがあった。料亭と花街だ。門司には数多くの料亭があり、清滝には10件以上もの料亭が林立していた。旅館も多数あり、中には高松宮殿下が定宿としていた宿もあったそうだ。また、芸伎衆もおよそ200人、置屋も20軒以上あったと言われており、当時の華やかな風情が想像できる。このように、終戦前までは非常に栄えていた門司だが、終戦とともに大陸貿易が縮小され石炭の輸出も減り、港として低迷し次第に衰退していくことになる。その後、門司港は行政と民間の協力のもと、1995年に『門司港レトロ』として生まれ変わり、今では年間200万人以上の人が訪れる観光地として、新たな歴史を歩んでいる。

https://www.mojiko.info/about/index.html

⇨北九州市観光案内

位置

『門司港』の様子

感想等


当時は日本の三大港の1つとして数えられた『門司港』

レトロな港町として今でも十分に楽しむことができました!

レトロでおしゃれな雰囲気が町の至る所に点在しているので、

街歩きでもしっかりと楽しめそうです。

また、すぐ近くには「唐戸市場」もありますので

回線を食べてからの散策でも楽しめます。