【日本一周73日目】広島県広島市の『広島市水道資料館』に行って来ました!

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※こちらの記事で使用している写真データは販売しておりません。

広島市

よしぷり
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今回は、タイトル通り

『広島市水道資料館』

に行ってきたので、そのときのお話を記事にします!

○この記事はこんな方におすすめ○

・『広島市水道資料館』について知りたい
・広島県の観光地に行きたい
・広島県広島市を知りたい
・広島県に行きたい!

【この記事を一言で】
→広島県広島市の『広島市水道資料館』について分かる!

『広島市水道資料館』とは?

デルタ地帯(三角洲)に生まれた街・広島は、井戸を掘っても塩水が上がるため、良質な地下水が少なく、人々のほとんどは川の水をそのまま飲み水にしていました。しかし、明治時代になるとこの水が伝染病の原因となり、コレラや赤痢が発生して猛威をふるいました。また、広島藩の時代から、何度も大火災が起こり、人々は水に対して大変な苦労をしていました。明治27年(1894年)に日清戦争が起こると、大本営が広島市に置かれ、政治・軍事の中心となったため、多くの軍人らが集まり、水道の必要性が大きくなってきました。こうして、人々の待ち望んだ水道布設が決定しましたが、水道技術者がいなかった広島市は、英国人技師W.K.バルトンの指導やアドバイスを仰ぐことになりました。

市民水道の工事は、軍用水道の工事と同時に行われ、明治31年(1898年)8月12日に完成しました。明治31年(1898年)8月25日午前9時30分、軍用水道工事の竣工式と一緒に、牛田浄水場で盛大な通水式が行われました。通水式は、軍用水道として行われましたが、施設がすでに広島市へ貸し出されることが決まっていたことから、広島市水道創設の記念すべき日となりました。このため、広島市の水道は、横浜、函館、長崎、大阪に続く、全国5番目の近代水道創設となりました。

http://www.water.city.hiroshima.jp/jigyo/gaiyo/history/rekishi0.html

⇨広島市観光案内

位置

『広島市水道資料館』の様子

感想等


ここでは広島県の水道設備完備までの歴史から、

現在の『取水→浄水→給水』までの過程を

学ぶことができます。

また、資料にない疑問点は館内のスタッフさんにも伺うことができました。

旧型の取水ポンプや給水ポンプはかなり大きいですが、

現在はもっと小さく性能も良い。

と館内のスタッフさんから教えていただきました。

とても興味深い資料館でした!